特に私が余命宣告されたとかそういうわけではありません

ただ、少し前に友人を亡くしました
遠くに住んでいてチャットもしないタイプだったので、年に 1 回会うかどうかくらいでした
だからか会えないことの寂しさとかはまだそこまで感じず、そうなんだ・・・と思ったくらいで意外と軽いものでした
でもなぜか、最近になって死ぬってなんだろうって考えるようになりました

同い年の友達だからこそ、親や祖父母だとその人がいなくなる事のほうに気持ちがいきそうですが、自分だって死ぬときが来るんだと思うようになりました
平均寿命を考えるなら、まだまだ若い層なので先は長いです
ほとんどの人は自分が死ぬなんて全く意識せず他人ごとに思ってる頃だと思います
私もこれまではそうでした

そうは言っても、平均寿命はあくまで平均
最近多い車による事故や無関係の人の殺人とか、自分には起きないとは言い切れませんし
病気だってありえます
医療の発達で昔よりはすぐに命を落とすことはないかもしれませんが、治らないものだってあります
自慢はできないですが生活習慣がひどい自覚はあるので平均超えるのは無理だろうとは思ってます


他人が死ぬというのは二度とあえなくなる、というもので悲しさはあります
ですが、自分が死ぬとどうなるかは想像できません

最近の流行りの転生モノとか、その後の世界が何かしらあるというのならそれは一つの楽しみです
私もスライムとか剣になってみたいです
この先、日本や地球が未来にどうなるかを見れないのは残念ですが、高校を卒業して大学に入ったり、大学を卒業して就職したりというような環境が変わるタイミングのひとつと考えられますし
これらは、会おうとすれば昔の知り合いに会えたり、親など変わらない関係があったり、調べればその後の気になることの情報は知れます
異世界に行くならそういうこともできませんが、何らかの世界があるというなら絶望ではなく希望もあります

昔からある幽霊でも、現実に干渉できないだけでその後を知ることができ、なんと言っても自分自身が存在します
あとは、この世界すべてが VR ゲームのような存在で死んだら更に上位の世界で記憶も取り戻して目を覚ます、とかでしょうか

こういうファンタジーな死後の世界はそういった希望がないからこそ希望を持つためにあるのでしょうね
科学が発展するほどそういうのがありえないと証明されて、便利になる反面、死ぬことの恐怖は増すように思います
死の淵を彷徨って三途の川を見たなんて人がいても、生きている以上脳が活動してるから夢のようなものを見ただけだと思います
そういうのを有ると信じているからこそ、夢で見るのじゃないかなと思います
その点では宗教を心から信じている人は、恐怖が少ないのかもと思います
絶対に逃げられないなら、恐怖を感じないほうが心が穏やかでしょうし、こうして精神的に病むこともないはずです

完全に死んでしまうと脳は活動していませんし、最終的には火葬なりで消えてしまいます
夢すら見れません
今こう考えていたり思っていたりするのも、自分が存在する、脳が活動してるからであって、それがなくなるというのは全く想像が付きません
寝て気づいたら朝になってる、の朝が永遠に来ないわけですから
走馬灯、なんていうのがあるらしいですし、主観では脳が活動を停止する最後の瞬間が永遠だったりするんでしょうか・・・


そもそも自分っていうのがなんなのでしょうね
仮に同じ「私」だとしても、生まれた時代や国、性別などで全く違う考え方や記憶・人格になるでしょうし、今考えたり何かを思ってる自分自身がそもそもなんなんだろうなぁと思います

客観的に見れば、個人なんて地球の生物の中の人の、あるタイミングで何十億もいるその中のひとつでしかないです
この世界全てで動物も植物も合わせての命なんて山のようにあります
そのひとつがなにか特別とは考えられないですよね

しかし主観的には自分自身だけが特別です
自分が観測してるからこそ、何かがあるわけで、名前も知らない国で誰かが生まれたり、名前も知らない星で戦争があってもそれを認識してない以上、存在しないのも一緒です
それはすべてが夢のようなもので、自分だけの世界で、それ以外は他人もすべて創造上の存在であるのと何が違うのでしょうか
自分が認識しなくなった世界は本当に存在するのでしょうか
まぁこういう考え方は他人は全部 NPC みたいなものになって他者を尊重できなくなるのでよくないですね


マンガなどで人形やロボットが心を持った作品で、「心なんてもたなければよかった」と言うのはありがちな感じがしますが、人もそうなんじゃないかなって思います
知識を持って自分を持っていろいろなことを考え思うことができますが、その自分というものが消える事自体の苦しみは大きいと思います

認知症も周りから見れば大変でこそあれ、寿命が近づく頃に本人がそういう苦痛を感じなくていいようにゆるやかに認知できなくなる脳の仕組みなのかも、となんとなく思います
認知症や記憶喪失などでも生きてはいるものの、そこに自分がいなくなるなら同じなのかもしれませんけどね


最初にも書いたとおり、別に私自身が寿命が長くないと決まったわけではありません
それでも結局、人の寿命はわかりませんし、 10 年後どころか明日生きてるかもわかりません
確率で言えばすごく小さいだけで 0 ではないです
クラスで誰か 1 人というのがあると自分はまず当たらないなと思っていても、当たることがありますからね・・・
確率を減らすなら外は危険が多いので引きこもってる、それでいて食生活はバランスよく、運動も行うなど、できはしますがそんな生活で長く生きたとしてなにか意味があるのかなと思います

自分が死ぬということについて考えるのって、死刑宣告されるのに近いように思います
死刑宣告されれば死ぬことについては嫌でも考えさせられるでしょうし、それがいつ行われるのかわかりません
明日かもしれなければ、数年後かもしれません
それと同じように、普通の人でもいつ急に命を落とすかわからないし、どう長くとも 100 年以内には死ぬことは決まってるわけです
そしてその死ぬということについて考えるわけですから、死刑囚の人と心境は近いように思います
捕まってるわけじゃないので、自由こそあれ、死んでしまえば自由なときに何をしていても違いはないんじゃないかと思います
お金を稼いでも、何かを集めても、楽しい思い出を作っても、それらはすべて消えてしまいますからね

そんなわけで考えれば考えるほど気が滅入りますし、最近は体調もなんかよくありません
体が変にだるいし、落ち着かない気分です
普段なら多少体調が良くなかったり痛むところがあっても、「たいしたことないでしょ」と気にしないくらいですが、最近は「これ大丈夫なのかなぁ、症状調べたら○○とかいう病気の場合もあるらしいし、もしかしたら大きな病気だったりするんじゃないかなぁ、少ないとはいえ同じくらいの歳でもその病気で亡くなってる人もいるし自分はいつまで生きてられるんだろうなぁ」とかネガティブになりすぎです

病気であと何年くらいはもつと言われてる人が、ショックな出来事があったり精神的にまいってしまうような状況になってからは容態が一気に悪化してすぐに亡くなってしまったなんていうのも聞きますがなんかわかる気がします
こういう精神的に良くない状況だと直るものもなりませんし悪化しそうです

なにか集中できてるときはいいのですが、特にすることもない状態や移動中などぼーっとしてるときにはつい考えてしまいます
書くことで気分転換できるかなと文章にまとめてみようかと思ったので書いてみましたが、今の所あんまり気分は晴れません

人がいつか死ぬというのは生まれた以上仕方ないことだし、どう考えても覆しようがないことです
それなら考えて苦しんだほうが損だし、気にしなくていいよう楽しいことメインに生きていきたいものです
なんかこうすごくハマれるコンテンツとかないかなぁ
たまにはアニメでもみてみようか